Interview

Vol.013

踏み出た先で、くるりと適応する
ある営業についての報告

エントランス事業本部 国内営業部 S&M課

河村 美優野さん

Miyuno Kawamura

BIOGRAPHY

1999年  0歳
誕生
2007年  8歳
間違えて消防車を学校に呼んでしまう
2016年  17歳
オーストラリアでの2週間サマープログラム。初めての大きな海外経験
2016年  18歳
大学に入学。アルバイトと遊びの中で、コミュニケーション能力を磨く
2021年  22歳
コロナ禍で休学し、ロシアに留学
2023年  24歳
オプテックスへ入社。自動ドアセンサーの国内営業に
2024年  25歳
東京支店へ異動

踏み出た先で、くるりと適応する
ある営業についての報告

エントランス事業本部 国内営業部 S&M課 河村 美優野さん

編集の岡井です。世界中の自動ドアセンサーを支えているオプテックスのエントランス事業本部。今回の主人公、河村さんは現在東京支店で様々なお客さまを担当する若手営業。改装されたばかりのオフィスと、行きつけの飲み屋さん、その両方にお邪魔してきました。

実は入社されて間もないころ、河村さんはこう漏らしていました。
「ここ、ホワイトすぎて続けられるか分からない」。……当時、少しヒヤッとしたのを覚えています。さて、今どうなってますか?

Okai

Okai

すごく印象に残っているんですが、入社して一年目くらいに「ホワイトすぎて、逆に続けられるか分からないって」おっしゃってましたよね?

Kawamura

Kawamura

言ってましたね!当時、大学の同級生の仕事ぶりや会社の話を聞いていると、揉まれて悩んでって働いている子もたくさんいて。オプテックスは優しい人ばかりだし、仕事のサポートも手厚すぎるくらいでした。毎日何の苦も感じずに楽しく仕事をしていていいのかな?このぬるま湯につかってて大丈夫なのかな?と思っていたんです。

Okai

Okai

その焦りとか迷いって、今どうなってますか?

Kawamura

Kawamura

私が完全に間違ってました。私自身に、ここで何をしたいのか、どう輝きたいのか?という意識がなかった、優しい環境に甘えてふわふわしていたんですね。
置かれた環境と自分が成長できるかどうかは、まったく別の話だなって気づきました。お膳立てされた場所でも、そこで自分自身がどんな作品をつくるかは自分次第。勝手にぬるま湯を選んでつかっていたのは、私だったんです。
周りで活躍する先輩や役員の方を見ていく中で気付くことができました。

Okai

Okai

「どんな作品をつくるか」って表現されるのいいですね。
安心したところで、河村さんのルーツからお聞かせください。

Kawamura

Kawamura

母親が北海道出身で、里帰り出産でした。なので道産子です。でも数か月して大阪に戻ってきて、一昨年に東京に異動になるまでずっと大阪で過ごしてきたので、中身はせっかちで面白いことが大好きなコテコテの関西人です。

物おじしない性格なので、無茶をして骨折などをすることはあっても風邪を引かない元気な子で。自分でいうのもなんですが、手のかからない子どもだったんじゃないかなと思います。

Okai

Okai

おてんばだったとご自身でもおっしゃってましたね。

Kawamura

Kawamura

骨折はひいおじいちゃんのお葬式の時で。15段くらいの階段見ていたら「あれ、これ行けるんじゃね?」と思って上からジャンプしてみたんです。そしたらあとちょっと距離が足りなくて、三段目の角に足をぶつけて、ボキーっと。本当に惜しかったんです。高さは問題なかったんですけどね~。

親戚中が慌てていましたが、母だけは「もー、またー?」みたいな感じで。怒られることはなくのびのびと育ててもらいました。小学生の頃は男友達が圧倒的に多くて、自転車に乗りながらバットを担いで草野球に行っていました。でも高学年になってからはさすがに女の子と遊ぶようになりましたね。

Okai

Okai

「さすがに」。という言葉を選ばれましたが、周りが気になりだしたということですか。

Kawamura

Kawamura

はい。「私ちょっと違うかも?」って思って。それで、私から周りの女の子に合わせに行ったんです。でも、それが別につまんないとか、無理したわけでもなく、普通に楽しかったです。
私としてはどちらでも良かったけど、当時の人の目を気にした時に、やりやすそうな方に動きました。

また人の目だけでなくて「お天道様が見ている」という意識も強いです。できれば徳を積んで来世も人間に生まれたいので!

Okai

Okai

「お天道様」に見守られながら、大学ではかなり優秀な成績を修められました。

Kawamura

Kawamura

アルバイトと遊び三昧でもありましたが、効率の良い勉強法のおかげで、卒業時にはGPA平均3.5と学部でも上位の成績で卒業することができました。特に英語に関しては特別なコースに進み、知識を身につけられたと思います。

Okai

Okai

効率のいい勉強ってどういうことですか?

Kawamura

Kawamura

人脈の構築と活用ですね。友達や先輩とコミュニケーションを積極的にとってノウハウを交換していました。こういった人との繋がりって絶対大事だと思っていて。いまの仕事にも間違いなく繋がっていると思います。

それに大学の英語の先生は「海外の友達つくれ。視野を広げよう。」と常に言ってくれていました。そんな環境の中で地元が全然違う人、アルバイト先の同僚、留学生、留学先で出会った友達、などなどバックグラウンドが全然違う人と関わる機会が一気に増えて、自分の中の価値観が少しずつ変わっていったように思います。

なのに就職活動の時は、モラトリアム人間のように社会に出ることが億劫になった笑

Okai

Okai

急に引っ込みましたね!どうして働きたくなかったんですか?

Kawamura

Kawamura

本当に本当に大学生活が楽しかったんです。国内だって海外だって、暇があれば飛行機に乗ってビューンと行ける。アルバイトも相当していたので、一般企業の初任給を超えるくらいには稼いでいました。そうすると「自分で稼ぐ」ことへのワクワク感も薄れるんです。

「この自由な時間を手放して、来年から40年も50年も週5回、8時間働きつづけないといけない。」そう考えるともう、足を踏み出せなくなって。
私たちの時の大学生ってちゃんと3年生の時から企業研究したり、インターンにいったり。とても力を入れていました。それを「なんか嫌だな~」って思っていて、気が付いたときにはかなりビハインドスタートになってしまった。

しぶしぶ就活をはじめて、家の近くの会社に数社応募してみたんですが、全部エントリーシートで落ちまして、「なんで働きたいって言ってるのに雇ってくれないんだ!」と憤ってました。それならもう私からは応募してあげないということで、オファーを受けられるサイトに登録して待つことにしました。

今となれば企業研究もしてないこんな人間、わざわざ採らないですよね。でもなぜか自分はかなりユニークだ!という自負があって、「なぜ、この私を、雇わないのか!」とずっと思っていました。

Okai

Okai

学生の頃に抱いていた、謎の万能感が思い出されてとっても辛いです。

Kawamura

Kawamura

私の友達たちは「きっと美優野は、このままブラック企業に行くんだな。」って言ってました。でもオプテックスからオファーをいただいて、しかも縁があって。たしか内定をいただいたのが8月でした。その時は友人らとハワイ旅行に行く直前だったのですが、無職で行くか仕事決めて行くか考えていました。まだどこかで働きたくない自分がいた。

英語にも自信があったし、心のどこかでワーキングホリデーでもいいかなって考えていて。絶対に就職しないとダメだって思いはなかったんです。でも最終的には周りの目を気にして、オプテックスに就職しました。

Okai

Okai

子どもの頃に遊び相手を変えたように、目線が気になったんですね。
実際に働き始めてどうでしたか。

Kawamura

Kawamura

英語を磨いてきただけあって、海外部署を希望していました。しかし実際の配属先はエントランス事業部(自動ドアセンサーやサービスを提供)の国内営業だと知った時はがっかりしました。

Kawamura

Kawamura

でも子どもの頃と同じように、良くも悪くも決まってしまえばこだわりが強くないみたいです。国内営業の仕事がすぐ楽しくなっていきました。最初はブーブー言ってますが、その後価値観の変化が気にならないというか。良く言うと適応性が高いのかも。

エントランス事業部はにぎやかな人が多いので、そういった面でもすぐ楽しく仕事ができていたように思います。

Okai

Okai

営業を始めて4年目。これまでの働きとこれからについて教えてください。

Kawamura

Kawamura

これまではエントランス国内営業として主に自動ドアセンサーの販売を行ってきました。既存のお客さまに対して、製品紹介や不具合対応、お困りごとのヒアリングなどを行ったり、各地域を定期訪問しながら製品企画や改善のヒントを集めたりしています。また社内では事業部と販促部の架け橋として、カタログ作成やメールマガジンの配信、外部サイトを活用したPR活動なども行ってきました。

今、関わりのあるすべてのお客様に大変良くしていただいています。もちろん看板の力も大きいです。オプテックスというだけで、温かく接してくださる方がとても多い。そのような方たちから昔話を含めていろんなお話が聞けたり、困ったときにはお互いさまで助け合うことができたり、ベンダーとクライアントという関係以上の繋がりがあるように感じていて、とてもありがたく思っています。

Kawamura

Kawamura

業界的に年齢の離れた方も多く、優しく見守っていただいているかもしれません。けれどここから5~10年経つと、この自動ドア業界の変革期、創業者の小林さんのように、現場で市場や製品を磨かれていたスペシャルな方たちが引退していかれます。一人親方さんも少なくなるでしょうし、恐らく違う形のビジネスになっていく。

私は今の仕事を愛しながらも、違う視点を持ってもっと大きなプロジェクトを動かしてみたいし、市場の方向性を決めるほどドライブしてみたい。

Okai

Okai

それは決して「ぬるま湯」じゃないですね。
だから大きな市場のある東京支店へ来られたのですか?

Kawamura

Kawamura

実は異動が決まってからずっと「いやだいやだ」と言ってました笑 結局踏み出すまではモラトリアム。

最初の一歩を踏み出すタイプではないけど。踏み出した先でうまくできるタイプなんでしょうね。東京支店に来てからは従来の地域顧客に加えて、メーカー系の大型顧客の担当も増えて、業務内容も幅広くなりました。忙しいですけど、充実しています!

また東京という土地柄、外食が断然増えまして、知らない人と知り合う機会もとっても増えました。そういう繋がりと繋がりの先で、新しい気づきがあったり、自分の価値に気づいたりすることもありました。会社からの評価のみで、自分に自信を持つってなかなかできないですよね。私を認めてくれる、あるいは忌憚なく意見をくれる存在って大事です。まぁ仕事と全く関係ない話がほとんどではありますけど笑

河村さん行きつけのお店。昭和歌謡と遠慮のいらない時間が、やさしく流れている。

Okai

Okai

ということは?

Kawamura

Kawamura

めちゃくちゃ楽しい!やっぱり仕事を通じて成長を感じられますし、頑張って稼いだお金で楽しいプライベートを過ごすこともパワーになっています。

いまは行きつけのお店もできて、オーナーのかおりさんや旦那さんのしずくさんにとっても良くしていただいています。お客さんも海外の方から常連の方まで、くるくる入れ替わってとっても楽しい。外に出ないと自分の居心地のいい人だけが残ってしまいます。それはそれでも幸せかもしれませんが、私は外に出ることでエネルギーを得ているんです。充実した毎日が、また私を頑張らせてくれる。

Okai

Okai

休日や休息を充電といいますが、ちょっと違ってますよね。

Kawamura

Kawamura

休日はまったく「休み」じゃないです。そして私は平日も「消費」しない。オプテックスは在宅ワークも許されているんですけど、私、めっちゃ出社します。
友達に会いに学校行っているっていう感じと近いですね。人と会いたくて会社に来ている。今日も東京支店長の角南さんと楽しくランチに行ってきました。

もちろん自分の案件で、不具合出てしまってどうしよう……とか、普通の悩みはありますけど、精神的に参るようなストレスは一つもないですね。たまたまなのかもしれないですけど、オプテックスで嫌な人に出会ったことがない。

広々とした東京支店のオフィス。ウォーターフロントの向こうに、スカイツリーが見える。

Kawamura

Kawamura

それこそ、大学の頃に仲の良かった12人のグループで、今も新卒入社の会社で働いているのは私を含めて5人だけなんです。あんなにしっかり就職活動していたのに、数年でやめるって悲しい。もちろん入った会社が良くなかった人もいるし、DJ一本でいくぞ!って夢を追う人もいる。でも逆に言えば「手放せる会社だった」という解釈もできます。私はいま、新しい夢があったとしても、ぜったい迷う。

であれば、この会社という舞台を使って成功したい。ドリームデザインという自分の成長先を確認する制度があるんですけど、しっかり見据えています。

Okai

Okai

河村ドリーム、ぜひお聞かせ願いたいです。

Kawamura

Kawamura

オプテックスを選んだ理由にもなるんですけど、日本の『すごい!』を世界に発信できるような仕事がしたいんです。

Okai

Okai

よく聞く文脈のように思うのですが、それってどういうことですか?
日本の技術力を世界に売り込みたいということでしょうか。

Kawamura

Kawamura

日本人は並ぶべきときは並ぶ。建物内にゴミがちらかっていない。根本的な治安とかマナー・モラルとか。そこがすごい。

でもロシアに留学しているときに、「日本ってすごいやろー!」って思ってたのが「まだまだやん。やばいやん。」に変わった。高度経済成長していた頃の「日本ってすごい」って評価が、周りが伸びて勢いが感じられなくなっていたんですね。愛国心から負けていられないぞ!と奮い立ったわけです。日本発のいい物をもっと世界に届けたいと。

この日本的なすごさの復活に、私の場合はベンチャーではたどり着けないと思った。だからこのオプテックスというブランドを活かして成したいと思っています。例えば、中学校の舞台と本物の舞台ってやっぱりサイズが違いますよね。豪華な照明があって、演出があって、役者が一つの作品を盛り上げていく。オプテックスには技術のある開発の方がいて、先輩が積み上げてきたブランドがあって、そして今、私がいる。

Okai

Okai

日本ってほんとはもっとすごいんだぞって叫びたい。
そして「自分自身がどんな作品をつくるかは自分次第」ということにつながると。

Kawamura

Kawamura

はい。もっともっとレベルを上げていきたい。あとはすでに良いものがあるのにアピール下手ってこともあるかもしれません。世界で売れる製品も技術もある。あとは私次第。

Okai

Okai

オプテックスって「いいモノだから信じて売って来い!」という立ち回りではないですよね。

Kawamura

Kawamura

オプテックスの営業は、お客さまと開発をつなぐ役割を担っています。市場の声を開発に届ける、開発の悩みを顧客に聞いて意見をもらう。その積み重ねがより良い製品づくりにつながると考えています。
だから営業と開発の関係が希薄になってしまうと、お客さまの声が開発に届かなくなり、メーカーとして独りよがりな製品開発になってしまい、誰も嬉しくない結果になってしまうのです。だから今はオンラインが発達していますが、顔を合わせてのコミュニケーションを大切にしています。

Okai

Okai

一方で「技術力」自体にも貢献されようとしています。

Kawamura

Kawamura

これまでは開発者が取り組むものと思っていた知財創出に営業としてチャレンジしたんです。私は大学の時にゼミの先生に誘われて、実用新案の取得を目指すサークル活動を行っていました。

最終的に私のアイデアは実用新案取得まで行くことはできず、道半ばで終わったものの、オプテックスに入社して特許報酬(特許取得者が売り上げに応じて年に一回報酬を得る)なるものがあることを知ったときに、大学の時にあきらめたことが今度こそ形にできて、しかもお金になるんだ!とすごく興味がわいたことを覚えています。

3年目に入ったときに新製品企画のアイデア出しの途中で、私がふと放った言葉が開発さんの耳に留まり、「発明ノート」書いてみなよと言われたのです。

Kawamura

Kawamura

発明ノートはアイデアを書き留める仕組み。当社の知財部門が支えてくれ、専門知識がない私にでも「現場のお困りごと」と「それを解決するアイデア」をまとめることで提出することができました。当時は全然すごくもなんともないアイデアだと思っていましたが、最終的にはそのアイデアが特許申請まで行ったのです!

Okai

Okai

おー、それはカッコいい!

Kawamura

Kawamura

そうカッコいい!カッコいいっていいですよね。私は小さいころ、お医者さんになりたかったんですけど、それってたくさん稼いでいるし、なんとなく「カッコいい」って思ったんです。「私、実用新案持ってるんですよ~」ってカッコいいじゃないですか!

Okai

Okai

第三者視点的に見て、そういう自分であられたいのかもしれないですね。

Kawamura

Kawamura

確かにそうです!そのうえで自分が正しいと思う方向やワクワクする方向、私「ならでは」が出せる方向に進んでいきたい。そしてそれがファンづくりに繋がればいいと思っています。

Okai

Okai

河村さんのファンを増やしたいということですか?

Kawamura

Kawamura

そうでもあり、そうではありません。オプテックスって個性を大切にする会社なので、私が行った取組み、先輩のチャレンジしたこと、それら全てがお互いの経験になって、混ざって、残っていくと思っています。そんな個々の在り方含めて、オプテックス。

Okai

Okai

オプテックスのブランドロゴを顕微鏡で見てみたら、実はカラフルでした!みたいな。

Kawamura

Kawamura

そうそう、その感じです!

Okai

Okai

では最後に、オプテックスという舞台でどんな人間になっていくか。ぜひ教えてください。

Kawamura

Kawamura

これからは国内営業として培った経験、業界の先輩方に教えていただいた知識を活用して、活躍の場を海外に広げていきたいです。要求の高い、日本での営業を経験している私だからこそ提供できる価値があると考えています。

そして日々の営業活動や知財活動を通じて、0を1にする力、1を10にも100にもする力を磨いて、ビジネスを生み出すことができる、ビジネスを推進することができる起業家のようなパワフルな人間になりたいと思います!

エネルギッシュで、正直で、よく笑い、よく話す河村さん。同時に人の目・言葉を気にしながら、自分なりに正しくあろうとする人でもありました。踏み出すまでは少し足踏みをするけれど、いざとなればくるりと軽やかに適応していく。そこで見えたのは、何かを大きく捨てて変わる姿ではなく、これまでの自分を肯定し、積み上げ、次の場所で活かしていく姿でした。国内営業で培っている経験も、人との出会いから得たエネルギーも、知財への挑戦も、いつかきっと一つの線でつながっていくのだろうなぁ。と、そんな予感に高揚しながら取材を終えました。十年ぶりに訪れた飲食街は相変わらずあたたかく、河村さんをすっぽりと包み込むように夜が更けていきました。


企画・編集:岡井良文

 

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※本記事は2026年6月の取材内容で構成しています。